Appoggio vol.8 2007年6月発行
「農業で食べていくのは大変だけど、自然の中で生きているという一体感は人間の心が癒やされる、すばらしいこと ― 関谷 豊さん」
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「地域で頑張る土地オーナーさんインタビュー」
関谷豊さん/本誌編集長・江里口吉雄が訪問
「アポジオの巻頭企画」はこれまでのインタビューから少し趣向を変えて、地方の農家・生産者など、永年地域にて頑張ってきた団塊世代で、仕事以外にもこだわった趣味をもつ方をターゲットとして訪れてみる。第一回の今回は、東京近郊埼玉県所沢市の数百年続く農家で安全な野菜を作っている関谷さんを訪ねてみた。 |
“300年間続く農地と近年の変化”
―― こんにちは江里口です。このあたりはずっと平地が広がっていて、農業に適しているようですね。遠くには富士山がみえて気持ちがよいですね。関谷農園のある下富(しもとめ)という地域は相当農業の歴史が有るところですか
関谷 開拓して320年くらいになりますか。柳沢吉保が川越藩主になってきてからですね。300年間くらいは風景も何も同じだったわけですね。それがバブルあたりから変わってきて、一時産業廃棄物処理施設がどんどんこっちにきてしまいました
―― 地目が山林というのは産業廃棄物処理施設に狙われやすいんですね。農地の場合は農地法がありますから
関谷 山林の場合は奥だと人目に付かないんですね。周りが林だから、だからよけいに業者はやりやすいんですよ
―― そういう業者というのは、この地域の人がやっているのですか?
関谷 いや、ほとんどは土地の売却ですね。それが、所沢ダイオキシン問題になってしまったこともありましたね
―― 報道でもずいぶん取り上げられてましたね
関谷 そのとき、私は農家代表だったのですが。ほうれん草からダイオキシンが出たのではないのに、そうとも取れる報道だった。それで農水省とテレ朝に抗議に行きました。あの頃はあちこちでモクモクと黒い煙を上げて野焼きしていました。本当は行政の問題ですが、メディア被害ということになりましたね。あの放送があってからしばらくはほうれん草が売れなくなって困りましたね
―― そうですか。ところで、関谷さんの畑はどのくらいの広さですか?ご家族以外にも農作業をしておられるようですが
関谷 自分の畑で3ヘクタール、借りた畑が4ヘクタール、合計7ヘクタールくらいですね。家族5人の他に人を雇って10人くらいでやっています。作物は何でもつくりますね。ほうれん草、小松菜、白菜、にんじん、ネギにゴボウ、穴の中で軟白ウドもつくっています
―― 江戸時代から何代もこの地で農業をしてきて、関谷さんのお父さんお母さんから農業を教わり、そして関谷さんの息子さんも農業を継がれたわけですね。そういう農業を今の時代に持続・継続してゆく上で困ることはありませんか
関谷 この地域はとても農業に適しています。水害も無ければ台風の被害なども少なく、他の地域に比べると気候風土についてはほんとうに恵まれている。江戸時代から何十代も続いている会社と思えばすごい事じゃないでしょうか。江戸時代から続いている会社ってあまりないでしょう? 本来農家は贅沢をせず変わったことをせずにきちんとやっていれば何代も続けられるものです。ところが、近頃は跡継ぎがいないという問題が起きています。うちも息子が仕事をどうするかということもあったが、農業を継いでくれるということになって、後継者の問題は解決しました。ところで、ちょっと外へ出ましょう
“持続可能な農業に必要なものは”
“山林の機能を持つ農地を未来のために”
“60歳超えたら農業塾を始める”
(・・・続きは本誌アポジオvol.8で)
「新富裕層が元気な東京を支える」
江里口吉雄・本誌編集長
新富裕層の台頭がすごそうだ。約80万人といわれる新富裕層の金融資産総額はなんと219兆円。1人当たり2億5千万円となる。新しい富裕層の1ヶ月のお小遣いは229万円ともいわれる。最近、新しく都心にオープンした東京ミッドタウンに行って見るとその世界はすぐに理解できる。六本木ヒルズから住み替えてきたミッドタウンの住民はやはり新富裕層であろうか。ちなみ、その富裕層のライフスタイルの一つでも体験して見ようと、今話題になっているコンランのレストラン「ボタニカ」に試食をトライして見た。そうは言っても案の定、予約を取るのに一苦労した。もちろん、その料理の味はそれなりであったが、ワインのリストはそれほどでもなく意外な感じであった。ただ、予約で満席であったレストランはここだけではなく大半が予約で満席であったのにはやはりびっくりさせられた。コンランレストランは、日本ではこのミッドタウンで初上陸とされているが、コンランの世界を知るにはすでに東京から新幹線で1時間ほどの那須の「二期倶楽部」がある。コンランのデザインの二期倶楽部は、都会の喧騒とは違った静寂さを楽しむことができる。おすすめは、まずこの二期倶楽部の世界を体験してからでも遅くはないだろう。
取材?をさらに続けて、東京ミッドタウンの象徴シンボルであるリッツカールトンホテルに足をのばしてみた。さすがに外資系ホテルの世界はその内装と家具にも顕著に表現されていた。ホテルのロビーと廊下のあらゆるシーンでそのインテリアの豪華さはだれでも体験できることだけは確かであるが、不思議とほとんど来客の姿が見えないのには少し驚いてしまった。隣のショップやレストラン街の喧騒とは全く別世界であった。とにかく静寂な空間を通り過ぎて奥のエレベーターで一気に45階に着いた。リッツカールトンホテルの45階のバーではシングルモルトのボウモア25年を味わった。この場所が赤坂という高台の立地のため45階の窓から広がる視界は東京の新しい姿にも見えた。
(・・・続きは本誌アポジオvol.8で)